ある水曜日の朝、Kelownaのスキータウンを、ディーゼルエンジンを鳴らし、雪を蹴散らしながら車がBernard Avenueを走ってきました。赤いFordのF250は歩道に沿ってぴったりと駐車しました。運転手は中年の男性で、カップホルダーにカップをゆっくりと置きました。

 

その男性は小銭をメーターに入れ、微笑みました。

 

「金メダルをとっても駐車料金は払わされる!」Ross Rebagliatiは言いました。

出典:Leafly

Rebagliatiはオリンピックの有名金メダリストであり、医療用大麻の販売店オーナーであり、街でも有名な人物です。これが本日3回目の駐車で、すでに子供を送ったあと、45分のワークアウトでジムに行ったあとです。今、薬局を開け、長野のお土産を飾るところです。

 

金のAdidasを揺らしながら、Rebagliatiはディスプレーされている象徴的な楓の葉がついたカナダのオリンピックチームのジャケットを通り過ぎ、「おはよう、Chris!」とマネージャーと販売員に声をかけました。Chrisと従業員たちは店の開店準備をしていました。

 

10年ぐらいの間、メダルはドライバー、定規、ペンと一緒に引き出しに埋まっていたのが逆に良かったのかもしれない。

-Ross Rebagliati

 

Rebagliatiは案内をするような動作で腕をふりながら店内の金の装飾がところどころにちりばめられた自慢のガラス製品を見せてくれました。Ross’s Goldは店舗と製品のブランド名になっています。オリンピックの過去に敬意を払いながらも、現在はお客さんに高い品質の製品を約束しています。

 

「大麻販売薬局でもありながら、ジュエリーショップのようにしたかったんだ。」Rebagliatiは言いました。

 

次の彼の日課は薬局が開く前に金庫のある部屋に行き、金庫を開錠することでした。その中身は店の真ん中に置かれました。

 

Rebagliatiはその中に入った金メダルを持ち、微笑みました。メダルは野球のボールぐらいの大きさでとても重厚でした。少し輝きを失ったようにも見えましたが、それでもなお素晴らしいものでした。

 

率直に言って、Ross Rebagliatiの金メダルが、スノーボードで初のオリンピックメダルが、この小さな大麻を扱っている薬局で飾られているのは皮肉でもあり、ぴったりと合った光景でもあります。

 

大麻と金:Ross Rebagliatiはそれと深い繋がりがあります。

1998年長野オリンピック

出典:Leafly

Ross Rebagliatiという名前に聞き覚えがあるのは、20年ほど前に世界で最も有名になり、たった72時間でその名声を失ったスノーボーダーだからでしょう。

 

1998年、日本の長野で開催された冬季オリンピックといえば、スノーボードが

種目に選ばれた印象的なオリンピックでした。しかし、そうなるには少し早かったのかもしれません。Jake Burtonはそのわずか21年前に最初のボードを制作しました。その文化はパンクスタイルと若い世代の反抗を反映したものでした。ノルウェーの Terje Haakonsenは有名な選手でしたが、オリンピックの商業主義がスノーボードの文化に反するとして、長野オリンピックをボイコットしました。その「文化」には、スキーの文化にはあまり含まれていない大麻も含まれていたようです。

 

このために、頑張りすぎたのかもしれない。

            -Ross Rebagliati

 

Rebagliatiはカナダ人の間で人気者で、様々な大会で高評価を得ていました。彼はすでにスノーボード界ではベテランでしたが、長野のメディアによる注目とプレッシャーは経験したことがないものでした。

 

「ワールドツアーに出るのとは全く違って、時差ボケにも慣れなくて、プレスや周りのセキュリティーガードも気になって眠り事ができなかった。かなり緊張していた。」と彼は言っていました。

 

それでも、1998年2月8日にRebagliatiは長野以外の山々の要素を克服しました。彼の最初の滑りは安定してはいましたが、驚くべきものではなく、彼を準備する時間が十分にある8番にとどめました。遅れに耐えながらも集中し、彼はスタートを切りました。何も失う物はない、8番は表彰もされない。アナウンサーが「名を刻むか、消えるか」と実況する中、彼は恐れることなく山の斜面を滑りおりました。凍った斜面を滑っている彼はボードに乗っているのもやっとに見えました。

 

彼がゴールをきったとき、彼は何が起こったか把握していました。歓声に答える前に、ゴール付近で震えるこぶしを掲げました。8位から一気に1位まで順位が飛び上がったのです。

 

彼の2:03.96.という記録に追いつこうと、一人、また一人と7人の選手がゴールをしてきました。カナダのチームメイト、Jasey-Jay Andersonは2:11.33を記録しましたがRebagliatiより約8秒遅いタイムでした。金メダルは彼のものとなりました。

 

彼は偉大な成果を達成しました。

 

安心が彼を包みました。10年間の毎日のトレーニングや競争、努力が報われた瞬間でした。オリンピックの金メダリスト。カナダの英雄となり、誰もそれを奪うことはできません。

 

そう彼も思っていました。

 

祝いの夜

レースの直後に表彰台での祝賀式典が行われ、その夜のパーティーではサインを求められ、お祝いの電話が鳴りやみませんでした。

 

急に、薬物検査を行うとコーチは彼に伝えました。それが何のためかすぐに理解しました。THC。

 

彼は数か月タバコを吸うのを止めていましたし、オリンピックまでに開かれたパーティーで、大麻を楽しむ友達の中にはいましたが、ほぼ1年は大麻も吸っていませんでした。

 

オリンピック委員会と長野県警が彼と話をしました。

 

その夜、オリンピック委員会は彼にメダルを返却するよう求めました。同じ夜、地元の警察が大麻使用についての調書を取るため、選手村に帰ることもできませんでした。金メダルをとってから1日もたたないうちに彼は逮捕され、功績を奪われ、日本の留置所に収容されました。

 

なぜそんな事が起こったのか?

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次の朝、Rebagliatiの状況が世界中でニュースとなりました。金メダリストスノーボーダーが大麻使用で逮捕。スキーとスノーボードに精通している人には有名な、北アメリカとヨーロッパの山々で騒ぎを起こしているスキーヤー対スノーボーダーの対決は、Rebagliatiの逮捕によって、対立を深めるにはぴったりでした。日が昇るとともに、Ross Rebagliatiは彼が数年間にわたって逃れたかった役割を演じでいるのだと気付きました。

あのカナダのスノーボーダー。そう。金メダリストで、大麻で捕まった人。

 

ヨーロッパでは、大麻が買えてレゲエを聞きながらFrank Zappaを小さなボールで吸うことが出来た。

-Ross Rebagliati、スノーボード世界大会にて

 

しばらくの間、Rebagliatiは発狂しそうでした。「吸ってない!」と。

 

「この機会を逃すまいと頑張りすぎた。」

Rebagliatiの言葉はカナダのオリンピック委員会によって伝えられました。

 

彼は戦う準備はできていました。しかし、一人では無理です。カナダのオリンピック委員会の前で弁護士のように反論し、無実を訴えました。オリンピックまでに大麻を吸っていないこと、テストの結果は周りの友人が吸っていたからだと主張しました。

 

カナダオリンピック委員会は決断を下しました。カナダの首相、Jean ChretienはRebagliatiをサポートすると声明を発表しました。

 

最終的に、オリンピック委員会は検出された大麻はIOCで禁止リストにはのっていなかったと発表しました。彼の逮捕から1週間後、IOC はメダルをチャンピオンに戻しました。しかし彼は輝かしい未来はもうないことをわかっていました。3日間眠ることができず、憔悴しきっていました。彼の名は汚されたのです。キャリアも終わりました。彼は次の日の飛行機で長野を去りました。母国でどんな人生が待ち受けているのか考えながら。

 

崩落への道

 

海を越え、長野から20年たった今、RebagliatiはKelownaの山々にあるリゾート地で生活をしています。幸せな結婚生活を過ごし、3人の小さな子供がいます。5つのスキーリゾートには家から車で2時間ほどで、カナダで最も大きな2つのリゾート地には1時間で着きます。

 

先週には、KelownaのBig White Ski Resortを積もったばかりのパウダースノーのゲレンデをスキーで滑ったばかりです。彼の滑りに魅了されてしまいました。45歳になった現在も、その技術は衰えていません。スノーボードは何年もしていません。最近は、ゲレンデではスキーを滑っています。昔のスキーヤ-とスノーボーダーの対立の話は消えて埋もれ、彼はそれを掘り起こすつもりもありません。

 

彼らがいつも対立していたわけではありません。彼がバンクーバーでスノーボードを始めたのは多くのスキーリゾートがゲレンデでスノーボードを禁止していた80年代初めです。

高校をでた後、Rebagliatiはスキルを磨くのにWhistlerに引っ越し、ボロ屋に住みながら世界中の様々な相手と競争をしていました。初めての大会は1988年のWorld Series of Snowbordingでした。17歳のときでした。その3年後にプロに転向しています。

 

「92、93年代はワールドツアー漬けで、1年のほとんどをヨーロッパで大会に参加していました。」Rebagliatiは思い返していました。

 

世界大会は彼が大麻を日常的に使用し始めたきっかけでした。リラックスのためだけでなく、トレーニングの助けにも使用していました。

 

「日常的には朝使用し、トレーニングをして、それから夜に使っていた。」「ヨーロッパでは大麻が簡単に手に入り、小さなボールでFrank Zappaを吸って、レゲエを聞いていた。その時間が好きだった。」と彼は語っていました。

 

彼のその日課は数年続きました。そして、彼は新しい世界大会、トップのアスリートだけが集まる1998年長野オリンピックに選手に選ばれたのです。

 

彼はオリンピックで初のカナダのスノーボードチームに参加しました。長野オリンピックでは薬物検査があることを予想していたので、それを夢の舞台の邪魔にはさせない決心をしていました。

 

「オリンピックという夢の舞台が大きすぎて、ルールなんてどうでもいいと思ってしまったのかもしれない。あぁ、そんなルールもあるの?了解、それに従います。って感じだった。」

「勝つためなら何でもやるつもりだった。アスリートたちは大麻を吸いたいがためにその機会をあきらめることは絶対しないと思う。」彼は言いました。

 

そして彼はオリンピックまでの約1年間大麻をやめました。

 

「僕にとっては大したことじゃなかった。」そう付け足しました。

 

彼は大麻ぬきでも通常通りにトレーニングをし、世界最大の舞台のために世界中から集まった同志たちと過ごしました。

 

たったひとつのテストで、すべてを失う

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「テストのあと、僕のキャリアは終わりました。」

 

長野のあと、ほとんどのスポンサーが彼に違約金を求めました。3日間で約10kgも痩せてしまいました。「トラウマになりました。何が起こったのか飲み込むのに数年かかった、、、」思い出しながら彼が言いました。

 

彼は人生をつぎ込んだスポーツの世界から引退しました。プロの世界で10年近く競争をしていた彼は、精神的にも以前の彼とは違いました。薬物テストにひっかかった彼につくスポンサーはいませんでした。

 

「注がれる注目が競技でのパフォーマンではなくなっていました。1998年の大麻の問題は物議を醸しました。私は、あの時の人、にはなりたくなかったんです。大麻の人、ではなく、金メダルを取った人として認識されたかった。」あまりにも大きい代償でした。

 

その後に彼にとってはレベルの低いX Gamesの大会も開催されましたが、彼は脚光をあびることより、身を引くことを選びました。

 

「私は孤立していました。」彼は言いました。事件のあと10年間、決まった家もありませんでした。税金も払わず、メールも見ていませんでした。その後、Rebagliatiはバンクーバーに戻り、生活を築きます。

 

彼は金銭的に苦労しました。

 

「ピーナッツしか買えないぐらいお金がなかったです。お金もないのに新しいトラックを買って、道の途中でガス欠をおこしました。道のわきに置いてくことしかできませんでした。みんなそれが僕の物だと知っていました。新しく、特別仕様で町にたった一つしかないトラックが、そこに置き去りにされているんです。」

 

友人や近所の人がトラックのことをいつも聞いてきました。彼は嘘をつかずに「あー、ガス欠をおこしたけど、お金がなくてそのままなんだ。」と答えました。

 

取り立て屋がトラックを回収しようとたびたび訪れましたが、家の前の住所番号を変更し、混乱させました。

 

金メダルは栄誉というより、呪いのようになっていました。

 

「引き出しの中にがらくたと一緒に10年間メダルを眠らせてたのは良かったかもしれない。」

Michel Phelps

2009年の初め、Rebagliatiに転機が訪れました。

 

水泳のオリンピックチャンピオンのMichel Phelps がパーティーでボンを吸っている映像がインターネットで流れていました。それが私達一般人であれば誰も気にしませんが、Phelpsは薬物のイメージが全くない、1億を稼ぐオリンピック金メダリストでした。

 

Rebagliatiの電話がすぐに鳴りはじめました。世界中のリポーターたちが彼のコメントを求めました。「神様がくれたチャンスだと、もし彼の味方をすれば自分自身の潔白にもつながるんじゃないかと思いました。」

 

彼は論争の中に飛び込みました。「Phelpsの弁護をするため、メジャーなテレビ局に行きました。元プロのアスリートとして。」彼は誤解されている大麻の真実を世界に伝えることに決めました。「人々は長野でただの娯楽のために大麻を使用したと思っていますが、それはパフォーマンス強化と健康のために使用していたと語ると、みな驚きました。耳を塞ぎたいようでしたが、それが真実です。」

 

Phelpsのエピソードが、Rebagliatiが大麻業界に参入するきっかけとなりました。今やすでにカナダの最も有名な大麻提唱者となっています。

 

問題はお金でした。会社を作るには必要です。店舗を借りるのに苦労をしましたが、解決方法がWhistlerのゲレンデで見つかりました。

 

物静かなパートナー

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Patrick Smythはカナダのリスクを承知のベンチャー起業家でした。オンラインギャンブルソフトの開発に将来を賭けていました。Smythの過去の代表的な経歴はWiremax,Keno.com,やGaming Transactions Incです。スノーボードが趣味で、バンクーバーでRoss Rebagliatiの滞在する近所で育ちました。

 

「スノーボードをしている時に、友達と会ったんだけど、その隣にいたのがRossでした。」「子供の頃以来の再開でした。」Smythは思い出しながら言いました。

 

RebagliatiはSmythの過去の起業の話を聞き、自分のプランを話しました。

 

「カナダの新しい法律で、医療用大麻の法律が改正されるの知ってるか?」彼はSmythに尋ね、Smythは知らないと答えました。

 

これが世界の大麻産業のあるべき姿だ

-Rebagliati

 

Health Canadaは、2014年以降から影響力をもつMarihuana for Medical Purposes Regulations (MMPR)を形成する組織です。RebagliatiはSmythに一つの提案をしました。「大麻販売店を開きたいと思ってる。」そう伝えました。

 

その後の2週間、Smythは大麻産業に関することをすべて調べ上げました。気に入ったのです。オンラインギャンブルを起業した経験がある彼は、他が足を踏み入れるのを恐れている業界にはチャンスがあることを知っていました。

 

SmythはRebagliatiに電話しました。

 

「スノーボード滑りに行かないか?」

 

ゲレンデの上でビールを飲みながら、Smythは話を切り出しました。

 

「何か運命的なものを感じる。」彼はRebagliatiに言いました。「君のビジネスパートナーになりたい。」

 

Ross’s Goldの誕生

 

「タイミングがぴったり合ったんだと思っています。」「まだ非合法の時に大麻関連の会社を立ち上げたかったんです。そこが重要でした。昔のファンの注目だけでなく、大麻産業の注目を集めたかったんです。政府からの注目も。」

 

がらくたの入った引き出しから、ディスプレーボックスに

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約5年後、彼らはKelownaに店舗をもち、フランチャイズの計画をたてています。オリジナルのグラインダーとガラス製品が特長です。

 

政府の注目を得ることには成功しました。首相のJustin Trudeauは大麻産業の法律の改正を行う予定です。

 

金メダリストはもう過去を隠す必要はなくなりました。長野でとったメダルは引き出しからディスプレーケースに移されました。笑いながらRebagliatiは言いました。「自分の名前が入ったブランドを持つことができたんです。」

 

最近は自分の人生を楽しんでいます。すべてが揃うKelownaで家族をもちました。ゲレンデもあり、British Colombiaでブームとなっている大麻の中心地でもあります。彼も大麻の良さを広めることに情熱を注いでいます。

 

「通常に使用して、大麻で亡くなった人はゼロです。ゼロとういのは、珍しい数字ですよ。」

 

「多くの人は法に反してると考えているが、殻を破ろうとしないだけです。」

「破りたかったわけではないけど、私の場合はスノーボードがそうでした。自然とそうなったんです。誰も受け入れてくれない80年代はじめから、私はスノーボードをやってきました。」

 

現在、彼は大麻でも同じことをしています。リスクを負いながらも、大麻の提唱をしています。少しずつ広まってはきていますが、まだまだ一般的ではありません。

 

彼は仕事をするのも好きで、会社に行く前に、ほぼ毎日店舗にもたっています。

 

一日の終わりには店を閉め、安全に保管するため、ディスプレーされているメダルを自宅に持ち帰ります。

 

「カナダでも、アメリカでも、世界中どこでも大麻産業はこんな風であるべきなんです。みんなが健康とより良い生活を送るために。」

 

Rebagliatiのガソリン満タンのトラックを日が照らし始め、Kelownaの静かな道をがたがたと走っていきました。